大使のおしゃべり談話室
(第3回)2002年1月23日(水)
皆様こんにちは。カンボディアも平和で良い新年を迎えました。 元旦の朝は、王宮前の広場から、サップ河の向こうのメコン河のかなたから大きな赤い太陽の素晴らしい初日の出を見ることが出来ました。少し遅くなりましたが、新しいこの年が世界にとって、日本にとって、そして皆様にとって、本当に良い年であることをお祈りします。
カンボディアは12月から1月にかけて乾季の一番過ごしやすい気候ですが、それでも最近は少し暑くなり始め日中は、30度を超えたりします。寒い日本を思うと、こちらの方がいいなと思ったりします。今年の第1回目の「おしゃべり」をお届けします。
橋の効用:「きずな橋」後日談
前回プノンペンから約120キロ北のコンポンチャムというところに日本の援助でメコンに架ける橋が完成し盛大に開通式が行われたことをお伝えしました。この橋は、ちょっと只者ではない大きな橋で、しかもこの国で初めてメコン河を跨ぐ橋なので全国民の喜びは大きく、開通の式典は全国に中継され、新聞にも大々的に報道されました。今回はその後日談、回顧談でもあるのですが、この橋は全国民の間でも有名になり、私も完成前に訪れたずいぶん北方のラオス国境に近いスツントレンという街でもそこから3百数十キロ南に凄い橋ができるというので喜んでいて、一度是非あそこを渡ってプノンペンに行きたいと言う多くの人に会いました。また、完成後シエムリアップ(アンコール遺跡のある州)に出かけたとき、街の人から、凄い橋ができたので一生に一度でいいから渡って見たいと言われました。実際、新聞も、これまで渡し舟で料金を払って渡っていた住民はただでいつでも待たされずに自由に往来できるので大変喜んでいることを報道していますが、開通後各地からもこの橋を見たり渡りに来る人々の数はあとを絶たない模様で、先日政府のある大臣が私を見るや、「先週の日曜日に家族を連れて渡ってきました。素晴らしい橋ですね。日本に感謝します。だけど余りに人が大勢いたので、昼食をとろうとしてもレストランで2時間半待たされました。」と顔は笑って嬉しそうに私に話してくれました。
この橋の名前は、「Spien KIZUNA」といいます。Spien は、クメール語で「橋」という意味ですので、すなわち、「きずな(絆)橋」なのです。カンボディア政府はこの橋の完成を喜び、是非日本語の良い名前を付けてくださいと頼んできました。私ども日本側で知恵をしぼって提案したのが「きずな橋」です。「絆」とは、日本語で、家族や親友の関係のように心と心を深く結ぶ深い精神的つながりを意味し、この橋の完成が日本とカンボディアの国民を気持ちの上でも一層しっかりと結びつけ、また、メコン河の東と西をつないで両岸の地域、住民の経済的・心理的連帯を強める意味もこめたものです、と説明すると担当大臣もフンセン首相も即座に同意してくれました。開通式典では私もスピーチでこの意味をクメール語で説明しました。当初はカンボディアの人も発音しにくかったようですが、首相も大臣も今はもう慣れて、随所でスピーチをする際「KIZUNA」に言及してくれているので、この名前は定着しつつあります。
おしゃべりを続けます。プノンペン近郊にもうひとつの橋があり、前にも御紹介しましたが、日本が造ったため、シハヌーク国王は感謝の意をこめ「日本・カンボディア友好橋」と名付けてくれ、今では通称「日本橋」とも呼ばれています。戦争で破壊されたこの橋が日本により再建されたのは戦乱後間もない1994年ですが、この橋は、トンレサップ河沿いに北西方向のトンレサップ湖への陸上交通を可能にするので、完成後すぐにプノンペンから橋を渡った東側が急発展し、レストランが林立したりしました。橋は、両国の関係を強化し、経済的発展も促し、その効用は本当に大きいことがわかります。「きずな橋」も必ずや大きな効果を発揮するものと確信しています。
橋については、更に尾ひれがついています。フンセン首相は、カンボディアの開発のためにはどうしても先ず道路や橋を直さなければならないとして、各国や世界銀行、アジア開発銀行などの国際機関に援助を要請していますが、最大援助国の日本に対する期待は大きく、昨年12月の江藤隆美衆議院議員(日本・カンボディア友好議員連盟会長)のカンボディア訪問及び先般1月上旬の塩川財務大臣の当国御来訪の折には、更にホーチミン市に向かう国道1号線のメコン河を渡る部分に是非日本が橋をかけて欲しいと懇請して来たのです。1号線は大動脈ですが、今は橋がなくフェリーで人や車を運んでいる状態です。日本も頼りにされるのはありがたいですが、また、大きな宿題を出された感じです。
またまた、橋の式典:カンボディアのおけるインフラ整備の意味合い
先週の1月17日は、「きずな橋」から東に伸びる国道7号線の約11キロの部分を日本が修復工事を始めることになり、その起工式にフンセン首相とヘリコプターで現地に赴き出席しました。昨年の洪水で決壊した道路を、洪水に強い設計で修復するのです。大勢の関係者や地元の人々が集まる式典で、フンセン首相はいつものように、日本が如何に様々な分野でカンボディアの開発を支援してくれているかを詳しく説明し、深い感謝の気持ちを表明しました。それから1週間もたたない昨日(22日)、今度はまた最近の洪水などで破壊された橋の修復のための式典に、同じようにフンセン首相とともに出席して一緒にスピーチをしました。偶々、続いたのですが、こうした式典はマスコミによって全国的に報道されるので、日本の援助は全国民に知られ感謝されています。
私は、昨年1年間でカンボディアの全州を回りました。これによりカンボディアの地形や各地の開発の度合いを全体的に把握することが出来ましたが、一口に言うと、カンボディアはまだ、日本の終戦直後のような或いはそれ以上に悪い状態なのです。道路は全国で主要国道が7本ほどありますが、そのうち全般的に舗装が出来ているのは4号線1本だけなのです。何しろ、30年ぐらい内戦や混乱が続いていたので、戦争で破壊された道路が修復される余裕もなく最近まで来ているのです。穴ぼこが随所にあり古い橋が半分壊れて粗末な応急処置をしたところに、車が走っているのです。雨季には道はどろどろになり、乾季にはほこりが舞い上がり、でこぼこ道は危険であり、砂埃のため住民や通行人にとって不健康です。田舎の道は激しく傷んでおり四輪駆動車でも通行困難なところさえあり、農作物をオートバイやリヤカーで運ぶにもままならず、いきおい農業振興を妨げ、貧困状態が持続する結果になってしまいます。 地域によってはまだ大量の地雷が埋設されており危険で、除去しないと開発も出来ないのです。私は、道路や橋、更にこの国にとって重要な灌漑施設のようなインフラの破壊状態が如何にこの国の復興の大きな足かせになっており貧困状態の継続に繋がっているかを、全国行脚を通じて痛いほど知りました。
私は、カンボジア政府がインフラ整備を復興のための悲願としていることの背景を実感し、日本としても助けてやりたいという気持ちです。
アフガニスタンとカンボディア
21日と22日の2日間、東京でアフガニスタン復興支援国際会議が開かれました。戦乱が続いて荒廃したアフガニスタンの国土と国民の苦しみを救済するため、日本政府がイニシアチブをとって開催したものです。国際社会がこぞってアフガニスタンの復興を支援することになり会議は成功裏に終了しましたが、これからまだ長い道のりが控えています。 カンボディアとアフガニスタンは異なっている面も多いのですが、置かれた境遇には似たものがあります。2〜30年の間内戦が続いて国土は荒廃し、難民も大量に発生し、地雷も多数残っています。国民和解を進めて選挙を通じて民主的な体制を造るという、今のアフガニスタンの目標もかつてカンボディアが辿った道と同じです。それができると、やっと国の復興努力が本格化する。破壊されたインフラの修復、保健・衛生状況の改善、貧困の削減など、今のカンボディアのように、国際社会の援助を受けながら長い道のりを進まなければならないのです。
実は昨日の橋の完成式典で、フンセン首相は日本の援助について話をする中で、日本は世界中の国々の平和と安定のために幅広い協力をしている、としてこのアフガニスタン復興支援国会議に触れ日本を賞賛しました。アフガニスタンの現状にカンボディアの苦い経験と苦悩を重ね合わせたのかもしれません。実はカンボディアにはご存知のとおり大量の地雷がまだ残っています。日本をはじめ幾つかの国やNGOがカンボディアでの地雷除去に協力しています。フンセン首相は、カンボディアでの地雷除去作業の経験をアフガニスタンでも生かしたいという気持ちを持っているようです。両国には地形や地理の違いもあり、カンボディアの経験がそのまま生かせるか検討する余地がありますが、自身が外国の援助を受けながらも、その援助のありがたさを身にしみて知っているからでしょうか、同様の問題で困っている他の国を支援したいという心意気を同首相の言動の中に見ることが出来ます。
カンボジアにいると、戦争という人間の愚かな行為の悲惨な結果、貧困という現実や人間の尊厳という問題、国際協力の必要性とそのあり方など、様々な問題について考えさせられます。
アンコール遺跡修復と小榑哲央さんの死
今日は最初から道路や橋の話ばかりでしたが、日本はカンボディアに対し、このようなインフラだけを中心に援助しているのではありません。カンボディアは漸く平和と安定を取り戻し国の全般的な復興に取り掛かったばかりの段階ですので、ありとあらゆる分野での膨大な作業が必要です。カンボディア自身も最近兵員を大幅に削減して軍事費を減らし、教育や保健、農村開発など遅れた分野の予算を増額したり、財政、行政制度、森林資源保存など多くの分野で必死に改革を進めるなど、自助努力をしつつ、国際社会に支援を求めています。その中で日本はいちばん頼られていて、事実ちょっと広すぎるくらいに協力を求められているのです。日本も幅広い分野でこの国の復興を助けようとしていますが、中でも、人材育成、農業・農村開発、社会分野(教育、保健・医療など)の向上、及びインフラ整備を重点としています。形態としても、資金援助、日本の専門家や青年海外協力隊員の派遣並びにカンボジア人研修生や留学生の受け入れによる人材育成、民法や民事訴訟法の草案起草などの制度作り支援、洪水被害者への緊急援助、地雷除去支援、エイズ、マラリア、結核等感染症への対策、開発調査などの技術協力、学校作りや保健活動等を行うNGOへの支援など、極めて多岐にわたる協力を展開しております。
文化の面でも日本はこの国に協力をしていますが、特に世界遺産でありクメール人の魂でもあるアンコール遺跡群の修復のためにユネスコへ我が国が払い込んだ基金を通じて協力しています。日本の活動には、カンボディア人の修復技術者の養成を含めておりますが、若い人材が育ちつつあります。こうした中で、今月上旬、日本政府のアンコール遺跡修復チームに参加し情熱を持って保存活動をしていた若い建築家の小榑哲央さんという人が不幸にもシエムリアップで交通事故でなくなられました。小榑さんは、以前にアンコールの遺跡を訪問した際、その素晴らしさに惹かれてこの修復活動に身を投じたのですが、チームの団長である中川武早大教授に信頼され、日本人やカンボディア人のチームメートからも好かれて、また、カンボディア社会をこよなく愛して積極的に溶け込んで活動していたようです。アンコールの偉大な遺跡の修復に生き甲斐を感じて打ち込んでいたこの人の余りにも早い他界の無念さは、御本人にとって、また、御遺族にとって、いかばかりかと察するに余りありますが、この異国の地でまわりのカンボディア人からも大変惜しまれました。葬儀は3日間渡り執り行われ、私も1日半ほど参列いたしましたが、信仰心の篤いこの仏教国で終日いろいろな形の儀式や読経が続けて行われました。御遺体を乗せた車が大勢の人に引っ張られて市内の川沿いを行進した際には見知らぬ人たちも行列に参加したり、お寺の近くの火葬場で荼毘に付す2時間ほどの間菩提樹の木の陰でじっと待ちながら、小榑さんを知る現地の日本人やカンボディアの人々が御遺族に小榑さんの生前の情熱や人柄について愛着の念を込めて交々語っていた光景は、私自身も忘れることは出来ません。小榑さんのチームメート達は、僚友の熱い遺志を継いで一層遺跡の修復に力を入れることを誓っています。
カンボディア人の心の琴線に触れる協力している日本人もいることをありがたく思っています。小榑哲央さんの御冥福を心から祈ります。
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