大使のおしゃべり談話室第6 回(7月8日)



  暑中お見舞い申し上げます。
  ここ2ヶ月ほどとても忙しかったのですが、少し大きな仕事を終えたので感想などをお話したいと思います。


盆踊りや太鼓コンサートなどで日本人とカンボジア人の心が交流


  すでに以前にお話しましたが、5月24日から6月8日まで、「日本カンボジア文化交流祭」を実施しました。これは、カンボジアの内戦で閉鎖されていた日本大使館が1992年に再開してから10周年になることなどを記念して、日本が経済協力だけでなく文化の面でも心を通わしたいという我々大使館の意欲を実現するため行われたものです。

  2週間にわたり、盆踊り大会、日本映画祭、各種講演シリーズ,それに太鼓コンサートなどを挙行しました。このうち映画祭では黒澤明監督と三船敏郎の映画やかつてカンボジアで人気があったという「座頭市物語」、その他現代日本人の一面を示す「Shall we dance?」、「しこ踏んじゃった」など5本を上映、講演会では日本の経済発展の背景とか日本によるアンコール遺跡修復活動、広島の原爆体験と復興・平和の問題など、カンボジア人にとって関心の深いテーマを日本の有識者が話しました。いずれも好評でしたが、カンボジア人一般大衆を含めて楽しんでもらえたのは、「ロアム・ボン(カンボジア語で盆踊りの意味)祭」と両国太鼓の競演でした。

日本人もカンボディア人も踊りが大好き! 会場は熱気で一杯!   盆踊り大会を企画したのは、カンボジア人も宴会好きで食事のあとはいつも輪になって踊ることが好きな国民だからです。踊りはゆっくりとしたカンボジア独特の両手の動きを使うもので、私の構想では日本人と一緒に踊ったら絶対ウケルだろうと考えたのです。プノンペン市長(知事)の絶大な協力で市内の見晴らしのいい「フンセン公園」に大きな櫓を組んで準備をしましたが、案の定、私の勘は的中、3千人以上のカンボジア人と日本人が、日本とカンボジアの踊りを交互に踊り合い一緒に楽しみました。日本から我々の呼びかけに応じ大分県や広島県の方々が郷土の踊りを持ってきてくれました。市長もはっぴを着て最後まで踊ってくれました。子供用に「ドラえもん音頭」、大人向けに「炭坑節」、「東京音頭」など、それからカンボジアの踊りを数曲用意しましたが、大人も子供も、日本人もカンボジア人も、老若男女皆一緒になって踊りを楽しんだのです。櫓の近くには市内の日本料理店や日本から来た人々によって屋台が出ました。雨季に入っているので心配をしていた雨も皆の心掛けがよかったせいか、降らず、すべて終了した後に降り出したのです。この祭りの模様は後日国営テレビ放送局が1時間番組で全国に放映してくれました。

  太鼓コンサートは、これも当初は日本の太鼓グループの参加を得て行う計画でしたが、準備の課程でカンボジア側も張り切ってきて、カンボジアの太鼓グループも参加させるということになりました。日本からは大分県の女性だけの「くれない太鼓」の皆様(男勝りの強烈なエネルギーでした)と地元でチャリティーコンサートを開いて費用を捻出して参加してくださった千葉県の「呼魂(こだま)太鼓」の皆様、カンボジアからはいろいろな地域の太鼓グループが参加しました。カンボジアの太鼓グループが集結するのは滅多にないことだそうです。面白かったのは、カンボジアの太鼓には撥(ばち)ではなく手打ちの太鼓が多いことやカンボジアにも「ひょっとこ」や「オカメ」のようなひょうきんなマスクをかぶって滑稽な仕草をする踊りがあることです。最初はそれぞれのグループが技を披露して「競演」しましたが、最後は乗りに乗って即興的にすべてのグループが一緒に舞台狭しと「共演」しました。圧巻だったのはフィナーレで日本側の「オカメ・ひょっとこ」の踊りとカンボジアの滑稽な仮面の踊りが舞台中央部でコミカルに踊り合いました。それぞれの太鼓もダンダン、ボンボン、ドンドン、カッカとやり、笛もピーヒャラ、ピーピーと賑やかに打ち鳴らし吹きまくり、各グループの衣装も華やかで踊りも入って会場は興奮のルツボみたいになったのです。市内唯一の大きなチャトモク劇場は満員で、初めての経験ですが、太鼓を通じてカンボジアと日本の大衆音楽と芸能が両国の国民の心をひとつにしたような光景でした。御臨席いただいた文化大臣のボッパデビー王女もとても面白く感じてくださいました。文化というものは国が違っても本当に通い合うものですね。特に、日本とカンボジアはやはりアジアだなあ、という感じもしました。予期以上の発見で、私も嬉しくなりました。

  今回の文化行事はかなり盛り沢山でしたので準備が大変でしたが、日本から駆けつけてくださった大勢の方々の熱演、プノンペン市庁やカンボジア文化芸術省絶大な協力、在留邦人の強力なボランティア参加などの多くの人々の御支援のおかげで成功裏に終わりました。感謝の気持ちでいっぱいです。「心の交流」という本来の目的も予期以上に達成できましたが、カンボジア側関係者、在留邦人と我々大使館との間で形成された新しい人的絆も予想外の副次的効果として貴重な財産となりました。


国際社会から援助増額を獲得したカンボジアとODA削減下の日本


  世界の開発途上国の中のいくつかについては、国際社会がその国の政府などの関係者と話し合いながらその国に対する援助のあり方や必要な援助の内容について議論して援助の内容を決めていく仕組みがあるのをご存知ですか。通常世界銀行(世銀)が中心となってこうした会議のとりまとめをしていますが、この会議の参加者組織を総称して「協議グループ( Consultative group、略称 CG )」と呼んでいます。カンボジアについても、この CGがありまして、6月下旬に日本をはじめとする22カ国の援助国及び7つの国際機関並びに多数のNGOが参加して第6回の対カンボジア支援国際会議がプノンペンで開かれました。

  カンボジアへの援助はこれまで日本が最大の規模の援助国であり、歴史的に関係の深いフランスも相当の援助をしていることから、これまでこのCG会合は東京とパリで交互に行われてきましたが、カンボジアの自主性を支援するため今年は初めて当地で開かれたのです。私も日本政府の代表として参加しました。

  結果として、今年カンボジア政府は昨年の東京でのCG会合で各国、各国際機関、NGOから約束された援助額を遥かに上回る額の援助の約束を取り付け、期待以上の成果に喜んでいます。カンボジアが推進している復興や国内改革の努力には遅れもあり、援助する国や国際機関から厳しい批判もありますが、全体としてカンボジア官民が正しい方向に向かって必死の努力をしていることが認められ、もっと頑張れ、と激励されたと解釈することが出来ます。

  数字の上では、各国、各国際機関が表明した今年の援助の約束総額は6.35億ドルです。日本は本年度ODAが全体で10%削減されますのでとても大変でしたが、日本国内の関係者の必死の努力でこれまでの援助のレベルを何とか維持するため総額140億円(為替レートが1ドル120円ですと、約1.17億ドル)援助する意図を表明することが出来ました。

  日本はこれまでカンボジアの復興を助けるうえでいわば群を抜いて最大の援助をしてこの国への援助をリードきましたが、今年はアジア開発銀行や数カ国が援助を増やした結果、初めて僅かながらトップの座をアジア開発銀行に譲り日本の比重も落ちました。

  カンボジアが内戦の傷跡をいまだに深く残し、全国の主要国道などでさえまだ大部分が未修復で、地雷や伝染病もあり、この国の貧困の度合いは隣国のタイ、ヴェトナム、ラオスと比べても劣っています。いま漸く復興の努力が本格的に始まり、長年の国内の紛争を克服して復興に向かう国として、アフガニスタンや東チモールとの関係でもモデルともなりうる国で、国際社会がもっと頑張れといって支援を強化しているのです。

  カンボジアは日本の援助にかねてより絶大な感謝の念を表明してくれており、私にも国王、首相、閣僚、政府関係者から国民一般にいたるまでが、「日本の高貴な援助に深く感謝します」と、耳にタコが出来るほど繰り返し言ってくれます。貧困がまだ深く残る中で、道路や橋や病院を造り人材を育成している日本の援助が目に見える形で役に立っており、感謝される中で、「ODA削減」はじわじわとカンボジア援助における日本の位置に影響を与えつつあります。ここで仕事をしている身として、是非ODAはもう削減しないでくださいと叫びたい心境です。


アンコール遺跡修復のための国際協力と日本


  7月2日、3日の両日、アンコール遺跡に近いシエムリアップで「アンコール遺跡救済のための国際調整委員会」の第9回会議が開かれました。私とフランスの大使が共同議長を務めているこの会議の由来を申し上げますと、1991年にカンボジア内戦を終わらせるためのパリ和平協定が結ばれましたが、当時のシハヌーク殿下は荒廃したアンコール遺跡の救済を国際社会にアピールしました。翌年にはこれらの遺跡が「世界遺産」としてユネスコに登録され、これを受けて日本などが音頭をとってアンコール救済のための国際協力を呼びかけ、1993年にこのための東京国際会議が開かれ、この東京会議で遺跡の救済・修復の国際努力を調整するための委員会が設立され、日本は長年カンボジアで文化遺跡の修復に努めてきたフランスと共に共同議長に選ばれたのです

  日本の皆様が多数訪れるこの世界的文化遺産の修復活動は多くの国の協力によって行われていますが、最近はここでも日本の活動が大きなものになっており、これまた、カンボジア官民から「クメールの魂」である遺跡の修復活動に深甚な感謝の念が繰り返し表明されています。実際日本は上智大学の石澤良昭教授のチームがすでに1980年よりこうした活動に一貫して携わり多くの業績を造ってきましたが、1994年には、日本政府もアンコール救済政府チームを結成し、ユネスコに拠出したそのための「日本信託基金」を使って遺跡修復活動を続けております。この政府チームは中川武早稲田大学教授に率いられ立派な仕事を続けていますが、偶々、会議前日の7月1日、クメール式建築の新しい自前の事務所兼研修施設が完成式典を迎え、フンセン首相も出席してくれました。上智大グループも政府チームもともに遺跡修復活動をカンボジア人の技術者や科学者と一緒になって行い、これら若きカンボジア人専門家を育成しているのが特色で、この点もカンボジア側から高く評価されています。

  今回の「国際調整委員会」の会合では、各国の修復活動が広がりを持ってきて実績も積み上げられていることが確認されましたが、修復現場の視察では、日本のチームのもとの若いカンボジア人専門家が立派な英語で自分のやっている活動の報告を行い多くの国の専門家からも注目されました。私は、日本の活動がクメールの伝統的な建築素材や方式を研究しそれを尊重しながら修復を進め、同時にクメール人の自立を目指した人材育成を図る点で成果を挙げていること改めて確認でき、共同議長として、また、日本人として、とても誇らしく感じました。

  カンボジアにはアンコールのみならず全国にクメール時代の偉大な文化遺跡が崩壊の危険を孕みながら散在しています。遺跡の修復には息の長い長年の努力が必要であり、今後共日本も人類共同の遺産を守る努力を継続することが大事だと思います。日本からアンコール遺跡などを訪問されるときには是非こうした文化面での日本の貢献を現場で知っていただきたいと思います。


では皆様、今回はこれくらいで、さようなら。







     三味線コンサートの写真を見る。

  太鼓コンサートの写真を見る。


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