大使のおしゃべり談話室 第7回 (9月17日)



雨季で水量の増えたメコン河、サップ河、バサック河の合流・分流地域  カンボジアはいま雨期もたけなわです。すさまじい雷鳴とともに雨がしこたま降るようになりました。家の二階から1キロ足らず向こうに見えるバサック河の水かさがどんどんあがって日毎にその流れのスピードも増していくのがよくわかります。乾期には子供が裸足でサッカーに興じていた野原はもう水がいっぱいで、小舟が通ったり子供が泳いではしゃいでいるのが時々みられます。高床式の家のいくつかも床上浸水しているようにも見えます。今年も洪水の被害が伝えられ、同時に干ばつがひどく現在の米の作付けは耕作可能面積の37%しか行われていないと言われています。先日も私宛にカンボジア政府から日本の緊急援助の要請の文書が届きました。至急本国と協議して対応しなければなりません。


ODAはたいへん役に立っている

 これまでよく「ODAは無駄が多い」、との批判を受けてきました。私はかつて国際協力事業団(JICA)に勤務したこともあり、世界の途上国の貧困の現場に出かけそこでの様々の援助活動を経験していますが、日本が行っている援助活動は改善すべき点はあっても総じてとても大きな意義をもち、その効果にも大きなものがあることを実感し、かつ、そのことについて自信も持っています。カンボジアに来て益々その感を強くしています。

 確かにODA案件の中にはうまくいかなかったのもあります。悪意でお金が不正に使われた例も残念ながら希ではありません。しかし、うまくいかなかったものの中には、天候などの自然災害に影響されたものや相手の国の制度的欠陥や人材不足に起因するものも少なからずあります。だからそういうことにならないよう注意を払って綿密に事前調査をしたり事後の検証をするように努力をしております。我々はODA批判を身に痛く受け止めていて多くの改善もしてきましたが、それでも失敗はあります。制度や条件の整っている点では世界でも有数の日本の国内でさえ工事や事業の執行で失敗が時々ありますが、ODAの案件は異国の、しかも条件がきわめて悪いところで実施されますので失敗が避けられないことがあります。しかし、現実には大多数の案件はうまくいって効果を現しています。成功例がなかなか報道されないのはとても残念です。

 カンボジアでは、我が国が橋や道路のような国の経済や社会の活動にとって不可欠な施設の修復や病院や学校などの保健・教育分野での施設の建設、電気や水道の施設の整備、地雷の除去活動支援、農村開発への協力並びにあらゆる分野での人材育成など、幅広くこの国の復興と発展を助けています。日本が明治時代にフランスから民法を学んで取り入れたように、今、日本がカンボジア民法と民事訴訟法の起草をカンボジア人と一緒に作業して準備もしています。

 一口で言うと、この国の今の状況は、日本が敗戦で国土が破壊され復興を始めた頃に似ています。もっと正確に言えば、20年以上にわたる内戦などで国土が広範に破壊され、ポル・ポト時代に百万人単位の知識人や技術者が殺されて人材も払底した点で、日本よりも遙かに厳しい状態で復興を始めたことが指摘できます。道路の修復と言っても日本にあるような高速道路を新たに造るような話ではありません。現時点で主要一級国道といえるものは7本あり、いずれも往復2車線の道路ですが、そのうち全長にわたって舗装されているのはたったの1本しかありません。他の6本は日本を含め援助国や国際機関が部分的に修復したり、修復の計画はあるのですが、現状では全体的にまだひどい状態です。橋も方々で老朽化したり壊れています。地方道路や村道などは未舗装でもっとひどく、雨が降れば凸凹にぬかるんで四輪駆動でも通れないところが少なくありません。これでは農作物を作っても隣村まで運んでいけないので、農業も振興できず、貧困状態が継続します。1日1ドル以下で生活している人は人口の36%に昇ると言われています。因みに、カンボジアの一人当たり国内総生産(GDP)の最近の数字は240ドルです。膨大な貧困人口を抱えているとされる中国の場合でも846ドルです。最貧国のひとつである隣国のラオスでさえ国民一人が1年間に生産する量は324ドルです。日本のそれは37,435ドルですから、数字の上で日本はカンボジアの156倍豊かであると言うことが出来ます。この国の復興を助けることは人道的な意味でも大事なことだと思います。

漁を営む家族が朝の収穫の水揚げをしているところ この国は1998年以降やっと平和になって必死に復興に取り組んでいます。多くの国や国際機関がその復興努力を助けていますが、その中でも日本が最大の援助国でこの国の発展を手助けしているのです。お金を出して施設や道路を整備するだけでなく、日本から百数十人のJICA専門家、青年海外協力隊員、シニア・ボランティアなどがこちらに来て技術指導や人材育成に汗を流しています。さらに日本から20団体のNGOが人を常駐させて活動をしています。大使館としてもNGOなどにODAを使って活動を支援しています。

 最近、この国の復興が勢いを見せ始めプノンペン市では顕著な発展ぶりが目に付きます。この首都にも日本が電気や水道施設の整備、洪水防御施設建設、結核センターや母子保健センターの建設(これらの設備建設にはいつもその運営のための技術者の養成も含まれます)から人材育成、貧困層への支援など様々の活動を展開しております。

 こうして日本のODAは確実に、かつ顕著に、この国の復興と発展に役に立っています。以前にも申しましたが、日本の支援に対してはこの国の指導者はもちろん地方の住民からも深い感謝の念が繰り返し表明されています。だから、日本のODA削減の問題にはこの国の官民が本当に心配していて、いつも「何とかカンボジアへの援助を減らさないでください」と懇願されています。

 日本も終戦後はアメリカや世界銀行から大きな援助を受けて復興を実現したのです。ODAはその方法は常に改善すべきですが、是非減らさず増やしてほしいものです。日本国内の公共事業費、社会福祉費、文教予算などに比べたら遙かに少ないODA予算は世界の途上国で大いに役に立っているのです。


ODAを通じて見える日本の「顔」

 ODAを巡ってはよく「顔が見える」援助をすべきだという議論が聞かれます。日本が援助をしたことがその国の人々によく見えることが必要だという意味です。あえて言えば、私は援助というものが受け入れ国の経済や社会の発展に貢献することを本来の目的をしているのですから、その目的を達成すればよいのであって、「これは日本の援助ですよ」、とわざわざ強調することは必ずしも必要だとは思いません。実際には、どの途上国でも日本が援助した物資には日本の援助であることを示す看板がでていたりシールなどを貼っていますが、それ以上にこの国ではフン・セン首相を始めカンボジア要人が感謝の気持ちを込めて日本の援助についていつも演説で説明してくれるので、また、橋や病院や道路や施設は人の目に付くところにあり、さらには日本人の援助関係者もいろんなところで活動していますので、全国民が日本の支援のことをよく知っています。田舎に行っても見知らぬ人から感謝されることもよくあります。

 カンボジアに限らず世界の途上国の多くで、日本政府の援助やJICAの活動は一般的によく知られています。その国の政府や国民の悲願でもある発展について日本がしばしば最大の支援国となっていることが多いからです。カンボジアの人がよく語ってくれる「日本の顔」には、「他の国がなかなか出来ない道路や橋のような国の大事な経済活動の基盤整備にも協力してくれる国」、「カンボジアの立場に立って何を優先的にどう援助するかをよく考えてくれる国」、「カンボジアの意向を尊重して相談しながら助けてくれる国」、「カンボジア人の魂でもある文化遺跡までも修復してくれる国」等のイメージがあります。カンボジアでの「日本の顔」はかなり好意的に描かれ、かつ、よく見えます。


心打たれる献身:キャサリン・ギーチさんの例

 先々週は一週間で二度地方に行く機会がありました。そのうちの一回は四輪駆動車で片道3時間あまりかかるカンポットというところです。いつものように早起きをして出かけました。国道2号線と3号線を通ったのですが、道が悪いので急いでいた車はひどくバウンドして乗っている私は何度も首の骨が折れるのではないかと思うほどでした。

 その日の目的は、キャサリン・ギーチさんというイギリス人女性の運営する孤児や身障児を預かってカンボジアの伝統文化を学ばせる施設の増築が日本大使館の「草の根無償資金協力」で完成したので、その披露式典に出席するためでした。

後列中央の女性がキャサリンさん、向かって左隣に文化芸術省長官と私、前列は舞踏劇を演じた施設の子供達 キャサリンさんのことについては、1999年のリーダーズダイジェスト2月号に書かれていますが、それによると、彼女はバイオリンニストですが、まだクメール・ルージュ軍が政府に対して反抗していた1988年に18歳でカンボジアを訪れ、クメール・ルージュの残虐性や人々の生活の悲惨さに心を痛め、カンボジアの不幸な子供たちを少しでも助けようと1991年に再来して準備をし、94年からカンポットに孤児と身障者の子供達の心を癒すとともに伝統文化への誇りを持たせるため伝統音楽を教える学校を設立して今日に至っているのです。当時はカンボジアの国内はまだ不安定で国内の一部で戦闘も続き治安も悪かったのです。見知らぬ土地のしかも田舎で施設を立ち上げることや世界に類をみない残虐なクメール・ルージュ時代やその後に親などを亡くした子供たちの心を癒すことは並大抵の苦労では出来なかったと思います。

 現地に行ってはっとさせられたことは、まず、キャサリンさんは言うまでもなく白人ですが、浅黒い大勢のカンボジア人のなかでただ一人、目を見張らせるようなひときわ色白の若い婦人がカンボジアの衣装に身を包んでかいがいしく動いていたことです。しかも、その挙措ひとつひとつが実に奥ゆかしく、挨拶として膝をやや折り曲げて合唱する姿もカンボジアの控え目で慎ましい婦人とそっくり或いはそれ以上に穏やかな動作でしたし、人の前を通るときも腰を落としていかにも謙虚に周りの人に敬意を払っている歩く姿はとても自然で感動的でした。長年カンボジアの社会に溶け込んでいるせいか、キャサリンさんのクメール語には殆どアクセントすら感じられず、また、部屋に入ったり絨毯やゴザの上を歩くときは裸足になりますし、色さえ白くなければ本当にカンボジアの奥ゆかしい婦人という印象でした。さらにはっとさせられたことは、子供達への愛情の深さと躾の行き届いた様でした。子供達の部屋はいずれも質素ですがよそでは見られないほど清潔で整頓されて壁にもかわいい絵などが飾られていました。

 日本の支援で増築された建物の中で式典が行われましたが、文化省の長官や州知事や私のスピーチの合間に子供達が習っている伝統音楽や舞踊がいくつも披露されました。その演目のひとつは、森の木を切ったり動物を射る悪い人たちと森を守る神様や追われる動物達にかかる舞踊劇でしたが、弓矢で射られて死につつある親しい友達を愛おしんでいる鳥の役を演じている女の子の目からは本当に涙がはらはらと流れて止まないほどで凄く迫真的でした。幼くして親や兄姉が殺されたときのことを思い出しているのかもしれないと感じたほどでした。心に深いトラウマを持った不幸な子供達を世話してカンボジアの伝統文化に誇りを持たせて育てていくキャサリンさんの献身的な仕事に心を打たれました。キャサリンさん自身の話などから察するに、おそらくクメール・ルージュの残虐性への怒りや不幸な子供達への愛情、更には音楽家としてのクメール文化への理解と愛着などが彼女の行動を支えているのではないかと思いました。かれこれ10年余りカンボジアの片田舎で不幸な子供達を育てるため一貫してお金を集めたり地方当局と折衝したりして孤軍奮闘、なお爽やかな顔つきでいるイギリスの婦人。そこには国籍や人種の区別も何もない、人間、ヒューマニティだけの世界なのかも知れません。なかなか真似の出来ないことですが、その彼女の活動をわずかでも支援するため日本のODAを活用できたことはせめてもの慰めでもあります。

 カンボジアにいますと、時々このような献身的な人々に出会います。水も電気もなく、道路が悪くて都市からも隔離され、マラリヤの危険もある遠隔の地で頑張って保健衛生のための活動をしている外国の女性ボランティアにも出会いました。日本人でも献身的な活動をしている人は少なくありません。学ぶこと、考えさせられることの多い毎日です。



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